東京第一ホテル米沢
〒992-0045 山形県米沢市中央1―13―3
↑全景
米沢のグランドホテル。全室SWベッド・シャワー付トイレ対応。
米沢駅から車で約5分、米沢市の中心部にある品格漂う大人のホテル。ビジネス・観光の拠点に便利。館内には本場米沢牛が楽しめる和食処や本格フレンチのレストランも。6つのメニューから選ぶ朝食も好評。
中屋別館不動閣
〒992-1472 山形県米沢市白布温泉
↑施設の外観
開湯七百年の歴史の中、いまなほ自然湧出の天然温泉をそのままに、四季折々の景観を映しだす「名物オリンピック風呂」をお楽しみ下さい。
交通手段:JR山形新幹線米沢駅→バス山形交通白布温泉行き約40分白布温泉待合所下車→徒歩約0分
値段:8000~23100円
東京第一ホテル米沢
〒992-0045 山形県米沢市中央1−13−3
↑施設の外観
上杉の城下町、米沢のグランドホテルとして真心のサービスと洗練されたホスピタリティでお迎えいたします。
交通手段:JR山形新幹線米沢駅→タクシー約5分
値段:4725~14752円
角館温泉花葉館
〒014-0344 秋田県仙北市角館町西長野古米沢30−19
↑施設の外観
秋田の小京都角館、角館温泉「花葉館」。四季折々の風情を味わえる武家屋敷の散策の後、多彩なお風呂と旬の素材を使った郷土料理をお楽しみ下さい
交通手段:JR田沢湖線角館駅→バス秋田行き約25分花葉館前下車→徒歩約0分
値段:7000~15750円
旭屋旅館
〒992-0076 山形県米沢市小野川町2437−1
↑施設の外観
当温泉は天然ラジウム温泉で、体が温たまり、旅の疲れを癒してくれます。
交通手段:JR山形新幹線米沢駅→タクシー約25分
値段:11550~18900円
河鹿荘
〒992-0076 山形県米沢市小野川町2070
↑施設の外観
広大な敷地に随所に池を配した日本庭園、四季鮮かな山々の眺めが楽める客室と展望大浴場と庭園露天風呂。米沢牛と上杉郷土料理会席が味わえます。
交通手段:JR山形新幹線米沢駅→バス小野川温泉行き約25分小野川温泉駐車場下車→徒歩約3分
値段:10000~23800円
湯の沢温泉時の宿すみれ
〒992-1205 山形県米沢市関根12703−4
↑施設の外観
時の宿すみれはお二人様専用の宿です。源泉掛け流しの貸切露天風呂や、最高級の米沢牛を使用した「米沢牛懐石料理」でとっておきの時をお約束します。
交通手段:JR山形新幹線米沢駅→徒歩約60分またはタクシー約15分
値段:21000~29400円
東屋旅館
〒992-1472 山形県米沢市大字関1537
↑施設の外観
平成12年秋に再建営業の新しい宿。田舎風の建築、素朴なおもてなし、鳥の声響く静かな風景にすっぽり入った山の湯宿の雰囲気は不変です。
交通手段:JR山形新幹線米沢駅→バス米沢駅前から白布温泉・天元台行き約50分白布温泉下車→徒歩約2分
値段:10700~18500円
鈴の宿登府屋旅館
〒992-0076 山形県米沢市小野川町2493
↑施設の外観
ほたるの里に平成6年全館新築。源泉掛流しの浴場。浴場スロープ等熟年にもやさしい設備、山形県産牛と山菜きのこ料理。部屋食も行っております。
交通手段:JR山形新幹線米沢駅西口出口→バス山形交通小野川温泉行き約26分小野川温泉下車→徒歩約1分
値段:10000~21500円
季味の宿山の季
〒992-1472 山形県米沢市大字関字清水裏3931−4
↑施設の外観
あえて13室のみに客室数をとどめ、“旅の贅”を満喫していただけるよう心がけております。四季折々の会席料理と湯量豊富な展望風呂が自慢。
交通手段:JR奥羽本線米沢駅正面出口→バス米沢、白布間米沢駅前から白布温泉行き約40分白布温泉下車→徒歩約0分
値段:17850~28500円
ホテルサンルート米沢
〒992-0039 山形県米沢市門東町3−3−1 米沢共立ビル
↑施設の外観
日本全国を結ぶサンルートホテルチェーン。JR米沢駅から車で5分、市の中心繁華街に位置し、観光又はビジネスの拠点として最適です。
交通手段:JR奥羽本線米沢駅→バス米沢駅前から赤湯・小野川・白布行き約7分門東町3丁目下車→徒歩約25分またはタクシー約5分
値段:5000~13020円
米沢旅行記
紅葉をのんびり愛でる旅〜福島・土湯編〜(by BTHFさん)
車がないと不便な場所に、敢えて電車とバスを使って行ってみました。
二泊三日の福島旅は、土湯温泉(+女沼)→飯坂温泉→片岡鶴太郎美術館(花水坂)→二本松→安達太良山→岳温泉→ちょっとだけ米沢(山形県)と続きます。。。
まずは、土湯編から。
【旅行時期】2006/10/28~2006/10/28
【エリア】
土湯温泉
【テーマ】
【投稿者】
BTHF
151会津若松・おとぎ街道・蔵王3日間(by ひらけんさん)
1日目 朝雨のち曇り
大阪駅構内工事中のため、集合場所「旅立ちの鐘」前にはじめて行く。以前の噴水に比べると狭くなった。集合時間に順調に集まる。8:12発の雷鳥5号で旅がスタートした。
3時間ほどで金沢に到着した。朝の雨も上がり、曇り空となった。金沢からは、昭和観光バスで、運転手・ガイドともにSさんで「因みに夫婦ではありません」と説明受けたものの、きっと『夫婦やで〜』と皆心で思っていたのではなかろうか。ガイドさんは非常に安心感を覚える話し方をして、余計にしゃべり過ぎずとても良かった。富山からの北アルプス連峰の眺めは視界悪く見えなかった。有磯海SAで肌寒いなか幕の内弁当を僕たちだけが外で食べた。海らしい海の展望はなかった。北陸自動車道は日本海沿いにずっと北進し、黒部を過ぎてからは親不知・子不知などの26ものトンネルを越えて、上越までたどり着いた。山の急斜面が海岸に迫るすごいところを走っており驚く。ここで上信越と分岐、長岡で関越と分岐、新潟からいよいよ磐越自動車道に入る。金沢からほぼ5時間で御宿東鳳に着いた。かなり強行軍だった。温泉にゆっくり入り楽しみな夕食!ビール中を1本しかとらなかったが、良くまわり腹も膨れた。陶板焼きや刺身など美味しかった。珍味6品はどうも酒を進ませるためのような気が・・。部屋も和室で広く、1泊目にしては良く眠れたほうだ。部屋から悲劇の白虎隊の鶴ヶ城も見た。露天風呂からの市街地の眺めはなかなかのもの。満月にちかい月も輝いた!明日は晴れそうだ!
【旅行時期】2006/05/11~2006/05/13
【エリア】
東山温泉
【テーマ】
【投稿者】
ひらけん
1986年北海道鉄道旅行 思い出し旅行記(by ジルルカさん)
皆様の原点となった旅はなんですか?
私の原点となった旅は、1986年、当時中学1年生だった時に友達と二人で行った北海道への鉄道旅行です。
今でこそ飛行機にどっぷりつかっている私ですが、当時は一人の鉄道少年でした。
当時の私にとっては北海道(の鉄道)はまったく未知の世界で強烈なあこがれを抱いていました。中学に入り親からの許可も出て勇躍北海道に向かったのです。
今振り返ると、もっと有意義な旅行のプランもあっただろうにと思いますが、当時の私には精一杯のプランだったような気もします。
この旅行記は当時を思い出しながら書きました。なにせ20年前でしかも中学1年生のことですのであいまいな点、思い込み等多々あるかと思いますが、お付き合い頂ければ幸いです。
<1986年8月7日>
いよいよ念願の北海道旅行への出発、大阪駅で友人と待ち合わせ
朝8時頃の急行「たかやま」の自由席に乗り込んだ。
持っている切符は北海道ニューワイド周遊券、本州内は急行の自由席に追加料金なしで乗れるので嬉しい。
「たかやま」の車内のことで記憶に残っていることは正直全くない・・・岐阜で降り、後続の普通で名古屋に駒を進める。
名古屋駅では母方の祖母が待っており、駅弁「とりめし」を差し入れてくれた。
名古屋から浜松行きの快速に乗る、当時は東海ライナーと呼ばれていた117系の快速、関西の新快速で見慣れている車両。
浜松で乗り換え金谷で途中下車。
金谷で降りたのはもちろん、大井川鉄道のSLを見るため。SLを見るのは、その2年前の1984年に父方の祖母と山口へ「SLやまぐち号」に乗りに行って以来2回目。
金谷で見たのはC56の44号機が引く列車だったと思う。
金谷からは静岡から急行「東海4号」になる普通に乗り、一気に東京に向かう。その日の「東海4号」はがらがらで付近に乗客がいなかったのでずっと窓を全開にして景色を楽しんだ。
東京に着いたのはもう夜、すぐに山手線に乗り換え上野に向かう。
上野から乗る予定の秋田行きの臨時寝台急行「おが」までは2時間ほどあり、まずは駅ソバで晩ご飯、たしか「たぬきそば」を頼んだら大阪のとは全然違う醤油味のソバでカラシ?が椀に盛られていてびっくりした。しょっぱいソバだった。
「あけぼの」や「出羽」「北陸」など今まで見たことのなかった列車を見て大満足し、「おが」のB寝台に乗り込む。
「おが」は20系客車だった、結局20系寝台車に乗るのはこれが最初で最後の経験となった(20系座席車は急行「だいせん」で何度か乗った)。
<1986年8月8日>
なにせ東京以北(以東?)に来るのは初めてなので、何から何まで珍しく、眠れない。
黒磯、福島の機関車交換もしっかりみて、米沢あたりでやっとうとうとする、でも20系の3段寝台はやっぱり狭い。
朝になり終着の秋田で下車。
ここで上野からの急行「津軽」に乗り換える、「津軽」は14系座席車だったと記憶している。
さすがに客車列車だけありのんびりという感じで走ったが、終着間近の弘前から先で、急に行き違いの為の運転停車が増えなかなか青森に着かない・・・やっとという感じで青森に着いた時には午後になっていた。
青森からは青函連絡船、もちろん初めての乗船。鉄道少年だった僕が船に心惹かれるのも変だが、乗りたくて乗りたくて仕方なかった・・・やっと夢がかなう。
シップは「羊蹄丸」。確か青森桟橋発16時くらいだったと思う、特に本州からの接続列車のない便だったので船内はがらがらだった。船内食堂で「海峡ラーメン」を食べる、これも夢だった。
函館に近づき甲板に出てみる、もう真っ暗だった、だんだん函館の灯りが近づく、タグボート?が接舷し岸壁横でグルーっと180度旋回する。あんな大きな船体が回る、すごい迫力だった。函館桟橋着。
いや〜、北海道初上陸。中学1年の私は海外に来たような気分になっていた。
函館からは夜行の普通列車で札幌に向かう。
<1986年8月9日>
函館から札幌行きのの夜行列車は函館線経由の普通列車と室蘭線経由の臨時急行「すずらん」があったと思う。
今日は函館線経由の普通に乗る、旧型客車で編成された列車で最後尾の1両はカーペット車だったと記憶している。
早めに入線してきたので乗車し出発を待つ、車内はがらがらだった・・・が、出発間際に連絡船が到着すると遠くから走る足音が聞こえてくる、乗り継ぎ客がみんな走ってくる。あっという間にほぼ8割の乗りになり、びっくりする。
中学生の2人組は珍しいのか、前の席に座った大学生がしきりに話しかけてくる、旅慣れた方のようでいろいろと北海道について教えてもらう、「俺は倶知安で降りて胆振線に乗るけど、一緒に来ない?」と誘われるが初志を貫いて札幌に向かう。結局、胆振線は乗る機会がないまま廃線になったので今となれば彼の誘いにのっていればよかったなと思う。
朝になって札幌着。時計台を見学してから駅構内のハンバーガー屋で朝食、ポテトフライがマックのようなフライではなく、皮付きにポテトフライでとっても美味しかった。
ここから何故か来た道を帰り小樽に戻る、あまり記憶はないのだが当時の切符を見ると銭函と小樽築港で途中下車している。
小樽からは急行「ニセコ」函館行きに乗る、「ニセコ」は14系座席車で編成されていた。
小樽乗車時ですでに空席がなく、最後尾の車掌室の横の後ろが見えるデッキに陣取って流れる景色を見ていた。ここでも車掌さんが話掛けてくる「何年生?」「どこから来たの?」等など・・・
「ニセコ」は倶知安で暫く停車、一旦外に出ようと改札に向かうと車掌さんも後ろをついてきて改札の人になにか話している。
列車に戻ると車掌さんが「ほら、これ胆振線の車内補充券、日本一大きい切符なんだよ」と言って1枚ずつ切符をくれた、先程わざわざ改札まで行っていたのはこれを貰いに行ってくれていたのだ、感動してお礼を言う。
倶知安で降りた人も多く、親切な車掌さんの薦めで空いている自由席に移る。函館本線の小樽〜長万部には山線という異称があるが山線は景色がほんとに綺麗だった。長万部で下車。
長万部からは網走行きの特急「おおとり」に乗車した、満席だったので食堂車に行く、しかしお金がないのでライスとサイダーという今となっては赤面ものの取り合わせの食事をする、不憫に思ったのかウエイトレスの方がお漬物をたくさんおまけしてくれた。「おおとり」は伊達紋別で下車。
ここからの記憶は正直言って曖昧、普通列車で東室蘭まで行き、千歳空港(現在の南千歳)まで臨時の気動車急行に乗ったような気がするがどうも思い出せない。
夕方になり千歳空港から臨時の急行「狩勝」に乗り換えるて石勝線に歩をすすめる、この列車も満席でデッキに立つ。楓駅の変わった構造を車内から見た記憶がある。
急行だが臨時なのと対向列車が遅れているようで新夕張、占冠で長時間停車し、今日の目的地新得に着いた時はもう暗かった。
今日のお宿は当時新得にあったSLホテル、SLと寝台車(確か20系のA寝台車だったと思う)のホテル。駅で電話をすると車で迎えに来てくれた。
晩ご飯はジンギスカン、やはりかなり疲れていたのかすぐに眠りに就いた。
<1986年8月10日>
今日は早起きしてホテルの方に駅まで送ってもらった。
普通列車で帯広まで移動、そこで士幌線に乗り換える。帯広からは「愛国から幸福ゆき」の切符で有名な広尾線も出ており、どちらに乗ろうか迷ったのですが、一部がバス代行路線という士幌線を選びました。
そうなのです、この士幌線、途中の糠平から終点の十勝三又までは上士幌タクシーという会社がバスで代行運転していたのです。
列車が糠平に着くと駅前にバスが待っていました、今日は超満員で中型バスと小型バスの続行運転になりました。
終点の十勝三又に着くと、降りる人のほぼ全員が周遊券を見せて降りていた、実際にこの区間のためにお金払って乗っていた人は見かけなかったので経営的に大丈夫なの子供心に気になった。
十勝三又は草に埋もれた転車台があるだけで他に何も無かったような気がする。折り返し便で帯広に戻る。
帯広からは特急「おおぞら」で釧路に行く、帯広で降りた人の席に座れた、この列車も混んでいたのでラッキー。
釧路で1時間ほどの乗り継ぎ、荷物をプラットホームに置いて改札を出る、戻ってくると僕達の荷物を囲んで駅員さんたちが鳩首会議・・・忘れ物と思ったそうだ、お騒がせしました。
釧路から釧網線の急行「しれとこ」に乗車した。
車内は五分の乗りで、静かで落ち着いた雰囲気だったが、斜里駅に着いた途端様子が一変した、ユースホステルのお迎えかお見送りかわからないが、大勢の人々が歌を歌って踊っていた・・・UFOの歌だった、えらいパワフルだった。
網走に着いた、ここで急行「大雪」に乗り換える。
<1986年8月11日>
今日のお宿は札幌行き急行「大雪」の自由席、14系座席車。
方向転換のある遠軽までは起きていようと思っていたが、北見で限界・・・朝、岩見沢付近で目が覚める。
札幌では2日前にも食べたハンバーガー屋で朝食、やはり美味しい。
札幌からは天北線経由稚内行き急行「天北」に乗る、この「天北」車両運用の関係で昼間の急行なのに14系座席車と14系寝台車で編成されていて、寝台車は自由席車として使われていた、もちろん寝台車の自由席に乗車する。
お盆も近いせいか車内は満席、浜頓別に帰省するというご家族と同じブロックになり、お弁当などをおすそ分けしてもらう。
「天北」で印象に残っているのは、車内販売の「かつサンド」がすごく美味しく友人と2人で4箱も食べてしまったこととやはり昼間に乗る寝台車の雰囲気、上段寝台でのお昼寝は気持ちよかった。
天北線分岐の音威子府駅名物の駅ソバを車内に持ち込んで食べる、浜頓別で下車する先ほどのご家族からは食べ切れなったパックのお寿司をもらう・・・が、これが納豆巻きで、関西生まれの二人は食べれなかった・・・今日は食べてばっかりの一日。
南稚内で再び宗谷線と合流して、あと1駅。あの南稚内から稚内の最後1駅間の軽く流す感じの走りも印象的だった。
いよいよ最果ての地、稚内着。列車から降りると「宗谷岬」の歌がホームにながれていた。
稚内には友人の親戚がおり、今晩はそこにご厄介になる。
車で元国鉄稚泊航路の桟橋に連れて行ってもらった、確か最北の碑と蒸気機関車があったような覚えがある。
<1986年8月12日>
早くも今日で北海道とお別れにになる。
今朝は宗谷線経由の札幌行き急行「宗谷」で出発、「宗谷」も昨日の「天北」と同じ理由で14系座席車と寝台車の混結、迷わず寝台の自由席に座る。
幌延から羽幌線に乗り換える予定だが、時間があるので一旦通り越して手塩中川まで行って普通で折り返してくる。
天塩中川は急行停車駅だが無人駅で近くのお店が切符を代行販売していてびっくりした。
幌延からは羽幌線、海沿いを走るがあまり記憶がない、留萌線に乗り換えて深川着、札幌には夜に到着した。
札幌駅では函館行きの函館線経由特急「北海」と室蘭線経由「北斗」が同じホームの左右に停まっていてホームは大混雑、どちらに乗っても同じ連絡船に接続するけど、少し空いてそうな「北斗」に乗り込む、奇跡的に座れた。
さて、中学1年での北海道旅行をするにあたって親と一つだけ約束をしたことがあった、それは毎晩必ず電話を入れること、しかしこの晩は札幌駅ホームが大混雑で乗り継ぎ時間もあまりなく電話をすることができなかった。すると「北斗」が東室蘭を発車した直後車内アナウンスが流れた「兵庫県宝塚市からお越しの○○○○様、お伝えしたしたいことがございます、車掌がお通りの際にお申し出ください」・・・母が私の乗る列車を想定し東室蘭駅に電話したのだそうだ、「北海」に乗らなくてよかった・・・結局内容は「家に電話してほしい」とのことだった。
深夜0時を過ぎて函館着。ほんとに短い期間だったが素晴らしかった北海道に別れを告げる、感傷に浸りたいところだが列車の遅れで連絡船深夜便の乗り継ぎ時間も短い、取り急ぎ公衆電話を探すが全て使われていて仕方なく電話を掛けずに船に乗り込む。行きと同じ「羊蹄丸」だった。
<1986年8月13日>
今晩は青函連絡船深夜便ということもありグリーン指定席を予約してある、列車のグリーン車よりもリクライニングの角度が広く快適。
桟橋出航を甲板で眺めて席に着くとすぐ眠ってしまい、目覚めると既に青森桟橋に接岸していた、確か3時間50分の航海だったと思うので青森着は4時過ぎか。
青森では連絡船の接続を受ける盛岡行きの特急「はつかり」と大阪行きの特急「白鳥」がホームで待っていたが、そのどちらにも乗らず今日は普通列車だけで移動し、東京発の大垣行き夜行列車につなぐ予定なのでホームで普通を待つ、するとホームのスピーカーから「兵庫県宝塚市からお越しの・・・・・」そうそう電話するの忘れてた、早速電話をする。
青森から普通の盛岡行きに乗り込む、12系客車の編成だった。
盛岡で50系客車の一ノ関行き、さらに乗り継ぎを重ねて仙台まで来るがさすがに普通ばっかりの乗り継ぎに飽きてきた、友達と相談して常磐線経由の特急「ひたち」か東北新幹線に乗ることにする。結果東北新幹線を選ぶ、確か宇都宮まで乗ってそこで普通に乗り換えたと思う(なんとなく小金井駅の駅名標を覚えているので)。
山手線に乗り換え21時頃東京に着く、大垣行きのホームに上がると既に大混雑!!初めての大垣夜行で、しかもお盆前という状況を甘く見ていた、まさかこんなに混むもんだとは・・・とても座れそうにない。
列車が入線して乗車開始、やはり座れずに先頭車の運転席後ろのデッキで立って一晩過ごす覚悟を決めた。
定刻23時25分東京発車。
<1986年8月14日>
やはり中学生の2人組は珍しいのか周りの人が気を使ってくれて混んでいるデッキにわざわざ座るスペースを作ってくれた、他の皆さんは立っているのに申し訳ないと思いつつ、もう体力の限界だった、ありがたく座り込むとすぐ寝てしまった。
豊橋で目が覚める。
この後友人は名古屋から新幹線で大阪に戻り、私は名古屋の実家に帰省中の母と合流してお盆を名古屋で過ごす。
6時過ぎ名古屋着。一応私にとってはこの旅行の終着地だ、ほんとに楽しかったけど、やはり中学1年にはかなりのハードな旅だったようだ、その日に母の実家に帰って眠った私は翌日の夕方までずっと眠っていたそうだ。
旅行記 【終わり】
先日この旅行記を書こうと久しぶりに手元の最新(と言っても手元には3年前の2003年のしかなかった)の時刻表を見てみました。
すると86年に乗った急行列車はもうほとんど廃止されていて、青函連絡船を初め北海道のローカル線もだいぶ廃線になっていました、そもそも国鉄がなくなったんですもんね。
もう20年前で記憶に残っていない事も多く残念だけど、あの時代の北海道を味わえて良かったと思います。
最近はなかなか鉄道で旅行に出る事も少なくなったのですがこれを機会に久々に鉄道旅行をしたくなりました。
長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。ご意見ご感想等頂ければ幸いです。
まほろばの里・高畠町(by あぶくまさん)
高畠町は山形県の東南部にあり、宮城、福島に隣接しています。「まほろば」の意味は「すぐれた立派な場所」(大辞林より)だそうです。 なるほど、遺跡や神社仏閣も多くあって、静かで落ち着いた町でした。少し変わったところでお正月を迎えたいな、と思い探したらJRが運営して、温泉がありそしてすごくリーズナブルな宿泊料で・・新幹線高畠駅に併設された「フォルクローロ高畠」に2泊しました。
「旅行記」といえるかどうか・・ご覧頂ければ嬉しいです。
表紙は「阿久津八幡神社」の三重塔です。
羽田〜札幌(新千歳) JL1015便 46A(by ミシマさん)
JALさくらラウンジで書き込みをしていたら、搭乗時間が近付いてきたので本日のJL1015便のボーディングゲートに向かいました。
途中最終案内が聞こえたので、小走りで18番ゲートに急ぎました。
本日のお席は46A。後方のポートサイド窓側です。
いつもは、出来るだけ早く降りたいっていうのがあって、なるべく前方のお見合い席をリクエストするのですが、今日は本州を広く高気圧が覆って雲一つ無い晴天が予想できるので、なんとしても窓側、それもポートサイドのお席にしたいという事で、このお席を押さえました。
着席後は、後ろの席にしたのが幸いしたのか3列並びに2人がけで隣に気兼ねなく過ごすことができました。
離陸後は、東京〜千葉〜栃木〜群馬〜福島〜山形〜秋田〜青森とレンズに収めながら定刻より若干遅れて新千歳空港に着きました。
【旅行時期】2007/02/05~2007/02/05
【エリア】
北海道
【テーマ】
クルーズ
【投稿者】
ミシマ