月山ポレポレファーム
〒990-0733 西村山郡西川町大字月山沢347-3
↑センターロッジ(受付、レストラン、個室)
山の眺望抜群、広ーい敷地の中、くつろぎの自然志向の宿
月山や朝日が望める1万坪の敷地に自然に溶け込む8棟のコテージとセンターロッジ。周りは更に広大な公園と立地は最高。スキー、登山、釣、スポーツには好立地。山菜とソーセージは美味。
岩井屋
緑風閣
ホテルプラザオーサカ
奥鬼怒温泉ホテル加仁湯
長作の宿なかだ屋
ホテルメッツ北上
アートフルペンショングラン・パパ
浜の湯
神戸三宮ユニオンホテル
ロワジールホテル上越
月山旅行記
中国(7)【青海省・青海湖】(by ツッチーさん)
今回の旅行は、九寨溝・黄龍観光が第一目的なんですが、どうせならちょっと足を延ばして青海湖を見てみたい!と考えたんです。
前夜、銀川の夜行は今日の朝7時に蘭州に到着。ちょこっと観光して
蘭州14:45の火車に乗り込み、西寧に到着しました。
明日朝から、青海湖〜塔尓寺観光のツアーバスを使って終日観光する予定です。
日本の旅 奥の細道を辿る【4】 芭蕉が訪ねた象潟、酒田、鶴岡、新潟(by さすらいおじさんさん)
芭蕉は羽黒山、月山、湯殿山の出羽三山も訪ねている。出羽三山を巡ることは一度この世(羽黒山)を去ってあの世(月山) に行き、この世に生まれ変わる(湯殿山)ことを意味しこの世にあって輪廻を味わうことを「悟り」 というそうだ。芭蕉は「悟り」の体験の中で出羽三山の句をそれぞれ残した。
「涼しさやほの三か月の羽黒山」(羽黒山)
「 雲の峯幾つ崩て月の山」(月山)
「語られぬ湯殿にぬらす袂かな 」(湯殿山)
私は出羽三山を訪ねることができなかったが、一度訪問し芭蕉のように「悟り」を知る修行をしてみたいと思っている。
芭蕉は鶴岡では武士・長山重行、商業で栄えていた酒田では医師・淵庵不玉らの歓待を受け、
「 あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ」
「暑き日を海にいれたり最上川 」
の句を残した。私は鶴岡では鶴岡城跡、致道博物館、1868年62歳で入寂した鉄竜海上人の即身仏を安置する南岳寺などを訪ねた。出羽三山に行けなかったものの生きたままミイラ仏となる出羽三山の厳しい修行に感動した。酒田では本間家旧本邸、山居倉庫などを見学したが商業が栄えた豊かな街で俳諧を嗜む人も多く、芭蕉を歓迎したのだろう。
現在も海が美しいのだが、雨にうるんだ象潟(きさかた)では
「象潟や雨に西施がねぶの花」
越後路では
「荒海や佐渡によこたふ天河」
「一家に遊女もねたり萩と月」
金沢では知人の不幸を知り追悼の句
「塚も動け我泣声は秋の風」
と次々と名句を残し1689年8月21日、奥の細道むすびの地大垣に至り
「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」
の句を残した。
芭蕉はその後も旅を続け、1694年10月8日辞世の句ともいえる
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
を残し、4日後の12日51歳の生涯を閉じた。遺骸は芭蕉の遺言通り滋賀県の義仲寺の木曽義仲の塚の側に葬られた。これは、生前芭蕉が死後木曽義仲と塚をならべてほしいと語ったことによるもので、芭蕉は平泉の高館・義経堂で涙を流したように源義経や義仲、といった悲劇の武人にとりわけ思いを寄せ、「奥のほそ道」の旅中、これらの人物にゆかりのある土地を訪れて句を残している。義仲については1183年4月に平家軍との戦いで戦場と化した北陸・燧(ひうち)が城を眺め、
「義仲の寝覚めの山か月悲し」
の句を詠んでいる。旅の詩人「杜甫」を尊敬し、杜甫のように旅先で客死することを望んでいた芭蕉は望み通り旅先で生涯を閉じた。自分の思いを最期まで貫いた芭蕉は幸せな生涯だったと言えるだろうし私が理想とする生き様を示したあこがれの詩人でもある。
(写真は象潟の景観)=みちのく・奥の細道の旅 完=
058池田市・五月山公園(by ひらけんさん)
コース始めに五月山動物園があります。小動物が主体なので小さなお子さんに喜ばれそう。山というよりは公園という感じで、道を間違えそうになっても安心です。(コースからはずれたらフェンスに当たりました(^_^;)
秀望台からの眺めは良いです。コース途中には心地よい道や可愛い吊橋もありますよ。
五月山(315m)
土・日きっぷで湯池肉食(by めもるさん)
正月期間が明け、やっと安い切符が使えるようになった。前の週にやろうと思っていた湯治にでも出かけてみよう。
元旦の月山(by あそびっこさん)
2007年1月1日
元旦の出羽三山の1つ月山です。
天気がよくきれいに月山が見えています。
今年は、いいことあるといいな。